ひさおの独り言2016

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講義のための勉強は、新しいアイデアの種か失望か

大学院の講義のため、下調べの勉強をする。今までほわっとしか理解していなかった最先端の技術の原理をしっかりと自分で調べなおしてみる。

他人に説明することを前提として調査するのは、そのサブジェクトの理解のためにはとても良いプレッシャーになる。きちんと説明できないと自分に返ってくるからだ。どう説明しよう、質問されたらどう答えようと考えながら調査をすると、自分の深い理解にもつながる。

原理まで踏み込んだ調査をすると、その技術の使い方についても深い理解が得られ、「おお、これはこういう使い方をしたら自分の研究がすごく進むじゃないか」と気づいた。今まで怠慢だったことへの反省とともに、講義と自分の研究のシンクロを感じ、以前ある人に言われた、「講義は、自分自身の良い勉強にもなる」という言葉を思い出す。

もちろんそうなるためには、自分自身もしっかりと研究をやっていなければならない。これは別の人に言われたことだが、「最先端の研究をやっていなければ、良い講義・学生指導はできない」ということにもなるほどと思う。

で、そこまでは良かったのだが、論文が世界から量産されつつあるその最先端技術を調べに調べていくうちに、自分もそれを使わず、身の回りでもそれがほとんど使われていない、あるいは日本国内ですら限られたところでしか使われていない現実に、なんだか失望を覚えた。

いつの間にか、あるいは今までもずっと(?)、科学の先端からは取り残されて、これからもどんどん水を開けられていくのかしら。私はただの古い技術しか知らない/使えない老いぼれ研究者になるのかしら。・・・嫌なことだなぁ。などという思いが湧いてきてしまい、逆になんだかしょんぼりした。

そういう思いをしたくないから研究者は本当に必要かどうかもわからないけどとりあえず最先端のものを導入しようとする、ということもあるかもしれない。それで安心はできるから。

まあでも上記の新しいアイデアは、うまく実行できればそれなりに面白いことになるだろう。それに対する投資をするかどうか、それをいつするか、あるいはもうしばらく様子を見るのか、これもまた悩ましい。


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by hisaom7 | 2017-07-06 22:22 | 日記 | Comments(0)